GNCスタッフコラム 2001年〜2003年
今関 隆志 (パリ在住)のコラム
●ラグナドゥー日記(2003年10月某日)
(今関氏の愛車の名前、ルノー製よりこのように名づけていらっしゃるとのこと)
フランスでの生活をはじめてから丸三年が経ちました。この間にいろいろな出来事が過ぎ去っていきました。2年前の9月11日にはニューヨーク・ワールドトレードセンターが崩れ去り、その秋、アフガン戦争が起き、更にイラクでまで戦争が行なわれました。そういう悲劇が頭の上を通り過ぎ、パリはまた美しい澄んだ秋をむかえています。秋になると思い出す歌があります。2年前のワールドトレードセンター事件とその後のアフガン戦争を題材にしたもので、昨年発売されたフノーという人の歌うマンハッタン・カブールという歌です。このフノーという人はフランスのシャンソン歌手の大御所で、まあ五木ひろしみたいな感じですが、この歌は私の心を強く揺さぶりました。マンハッタンでやっと職を見つけたプエルトリコ移民の青年と、アフガニスタンのカブールで暮す普通の少女が、それぞれ地球の反対側で、ワールドトレードセンターが頭上で崩れ去るのを見つめ、カブールの空が空爆でオレンジ色に燃え上がるのを見つめている。そして二人が架空の通信をして、崩れ去る自分たちの生活の前に宿命を語り合う、そういう歌詩なのです。軽いロックに乗せたメロディーとフランス語の語感がますますやるせない情感をかもし出す歌で、こちらではかなりヒットしました。歌の宣伝をしているのではないのですが、私が申し上げたいのは、世界で起きている出来事に対するこういう反応が実にフランス的だということなのです。こういう事件が起きたときの日本の反応は、先ず特番現場中継、いろいろな評論家が出てきて特別番組、アルカイダやタリバン政権というのが悪者であるらしいとなるとその特集、一方で被害者の苦痛を特集し、こういう部分はどういうわけか普段芸能ネタ専門のアフタヌーンショーでも集中的に踏み込んでいく。みんなで「なんてことが起きるんだ」と感じ、みんなで「早くこんな原因を断ち切ってほしい。もう二度と見たくない」と思う。そして一年経てばもう終わったことだと感じる。そういう傾向があるように思います。一方、フランスはすこし違った。現場中継はたくさんあった。評論家もたくさん出てきた。アルカイダやタリバンの特集もたくさんあった。被害者のルポもたくさんあった。みんな「なんて事が起きるんだ」と感じた。しかし、「簡単にはこの原因は断ち切れない」とみんなが感じた。「また見ることになる」という文明の宿命をさえ感じた。そして、一年経っても悲劇の根本を忘れずにフノーのような歌が出て、宿命を切々と歌いヒットしたのです。簡単に言ってしまえば、和製ハリウッド映画と戦後フランス映画の違いかもしれません。和製ハリウッド映画に慣れた私としてはこの三年のフランス生活で感じるものはとても興味深く、共感できるものです。
私はこれには大きな背景があるように感じます。この町に暮す普通の人たちを見ていると、どうも違うように思うからです。ここでは浮浪者であっても、女学生であっても、ふと、宿命を背負っている姿を見せることがあります。浮浪者はただ道で眠っているのでなく、必死に物乞いをしている。大きなキャンバスを抱えた女学生は、どこかでゴッホのような悲劇を感じさせて歩く。こうして、外から見るものにとっては、どうしようもない宿命をその人に感じる。だから、一人一人の姿が際立つ。そして、みんな一人一人がすっくと立っているように見える。そういう社会だからこそ、深い宿命への考察が働く。これはほとんどパリ生活を描いた詩人リルケの受け売りですが、今の私にもそういう感じがとてもよく分かるのです。一人一人が、自分の宿命を誰のせいにするのでもなく、自分の背中に背負って立っていて、そうした独立した人生がベースになって町が構成されている、そんな感じがするのです。フランス、パリの、特に秋は、今でもそういう感じのするところなのです。
これは日本とは大いに異なるでしょう。私の知っている限りの日本では、一人一人はそういうふうにはすっくと立ってはいないように見える。みんながどこか連続体になっているように見える。個人の意識が集団の意識と区別がつきにくい連続体になっているように見える。だから浮浪者は誰かのおこぼれを期待して道で寝てばかりいている。絵描き志望の美大生も親のすねを期待してファッショナブルな楽しい生活を謳歌する。そしてその結果、みんなが連続体のように見える社会になり、一緒に泣き、一緒に行動し、一緒に忘れる社会のように見える。宿命と言う言葉は敢えて避ける仕組みになっている。逆にいざ宿命だと言うと急にみんなで暗くなる。これは、海外から見ていてもっとも感じる日本の一面のような気がします。勿論、日本とフランスは環境も歴史も違うのだから、日本が同じようになるべきだと思うのではありません。ただ、フランスにのそういう部分があるということをしっかり認識しないといけないと思ったのです。この町の人たちは、普段の陽気でラテン的な表情とは別に、どんな人でも自分の人生を一人で背負っている個人なのです。
さて、しみじみとパリの秋についての話をしてきましたが、少し話題を身近な問題に変えましょう。ここまで、フランス的なるものとして、このような個人の基盤構造が学ぶに値すると書いてきましたが、その基盤構造の上に作られる会社組織構造、お役所構造、・・・となってくると話は別です。ビジネス組織であれば、問題が起きたら一緒に悩み、一緒に行動し、終了したら一緒に次に移らなければなりません。集団の責任を個人が背負って行動しなければならないのです。宿命だなんていって、いつまでも変化しないのでは困るのです。ですから、こういうレベルでは、フランスの人は逆に日本的なるものから学んだほうがよいというのも事実なのです。
私は日本とフランスの企業アライアンスの中で毎日働いています。毎日の仕事は、二つの異なる技術開発チームの間でエンジニア同士のコミュニケーションを促進し、経済的な相乗効果を上げ、お互いの技術成果を向上させあうために働いています。この三年間、いろいろなレベルの問題が何百も起きました。私の見るところ、これらの問題はまず最初に集団としての問題として現れ、次に人間同士の問題になり、そして再び集団の問題になり、また個人の問題になる。そういうサイクルを繰り返すのです。だから話しは複雑です。もうおわかりだと思いますが、集団的責任を果たさなければならない局面では、日本の組織は優秀です。束になってクオリティーの高い仕事ができる。しかし、個人同士の話し合いとか交渉の段になると、フランスの個人には説得力があります。人生背負っていますからね。もちろん、例外はたくさんありますが、こういう傾向は事実です。日本の個人は、組織という架空の意思を制約条件にしすぎ、その結果、個人に説得性がなくなってしまいがちに見えます。フランスの組織は、個人の責任領域を超えて集団的責任を果たそうという気持ちに欠ける場合が多く、その結果、集団的作業のクオリティーが悪いように見えます。
偉そうな物言いですが、日本に対しては個人のありようについてフランスから学んでほしいし、フランスに対しては組織の実行力について日本から学んでほしいのです。なかなか難しい課題なのでしょうが。
でも、私は案外楽天的でもあります。この三年で、少なくとも私のまわりで、ゆっくりと二つの文化の間に、双方向の学習が始まっていると感じるからです。一生のお付き合いをする夫婦のように、お互いを認めて学びあう姿勢があればきっと大丈夫かもしれません。
秋なので、すっかり抽象的な話しから始めて、会社で直面するいざこざ話をしてしまいました。週末に、愛車のラグナドゥーとともに、パリから東へ250km行ったところにある丘陵地帯のブドウ畑を夫婦でハイキングしてきました。朝から夕方までブドウ畑と森の続く丘を30kmも歩きました。こちらの人は本当によく歩きます。ハイキング人口がものすごく多い。それも集団登山とか集団ハイキングとか中高年なんとかというような形態ではなく、家族同士、友達同士で、歩きながら会話をするために歩いているのです。目的は、コミュニケーションなのかもしれません。自然の中で歩くということは、個人同士のコミュニケーションを活性化させるメディアにもなっているようです。ちょうど、私のラグナドゥーが、私とフランスの自然と文化をつないでくれるメディアであるように。
ではまた。
今関 隆志 (パリ在住)のコラム
『欧州生活日記』2002年 12月
●ラグナドゥー日記(2002年12月某日)
(今関氏の愛車の名前、ルノー製よりこのように名づけていらっしゃるとのこと)
パリのドライブで一番美しいところはどこかと聞かれたら、おそらく私は、セーヌ左岸のオルセーからエッフェル塔にかけて走るケ(Quai)と呼ばれる道路の、冬の晴れた夜のドライブだと言うでしょう。照明に照らされたルーブル宮、コンコルド広場、アレキサンドルIII世橋、それらのゾクっとするほど見事な景観を対岸に見ながら、水を満々とたたえるセーヌ川の水位とほとんど同じ目線で走るラグナドゥーのドライブは、言葉では言い尽くせない美しさと速度感を感じます。人類の造った最高級の美と、その世界を独り占めにできる最高の発明であるクルマ(移動空間)、その素晴らしさを存分に感じさせてくれる瞬間なのです。嗚呼、クルマの価値ここに極まれり。これ以上いったい何がいるのか、と思う一瞬です。こうして考えると、フランスのクルマは幸せだなあと思うのですよ。そこにフランスの都市があり、フランスの空気があり、フランスの景色がある。そこに合うデザインとそこに合う技術を組み合わせれば、素敵なクルマができてしまうからです。技術はその社会環境や景観に強く依存するものなのですね。
一方、別の意味で、技術に対する考え方の差を感じさせられることがあります。以前、書いたかもしれませんが、こちらでも盛んにイノベーションと言う言葉を使います。イノベーションというのは、世の中に新機軸を提供するもの、つまり世の中を変える何かであるという認識が私の中にはありました。しかし、根本的に、こちらの人は技術で世の中を変えようという意識は薄いのではないかと感じるのです。先ほど述べましたように、こちらでは技術はあくまで使うものであり、必要な技術を選んでデザインの中に組み込めさえすればそれでよいと思っている。この点で、イノベーションをめぐるアプローチは日本に比べると大きな違いに感じます。“美のための技術”と“変化のための技術”という違いだといったらよいかもしれません。先ほどはフランスの肩を持ちましたので今度は日本の味方をしますが、このようなフランス式思考では、世の中をひっくり返すような新しいものというのは出てこないんじゃあないか、とも思うのです(勿論、コンコルドやTGVは俺たちが造ったものだという反論はあるでしょうが)。例えば、日本のエンジニアがハイブリッドやフューエル・セルをやるとき、世の中を変えてやりたい、これでビジネスを変えてやりたいという気持ちをどこかで持ちながらやっているわけですよね。だから、他人より“早く”“速く”という意識が働く。一方、こちらの人は、技術は自分たちの価値観に合ったところで使うという気持ちがあるから、“合うまでは待つ”という態度になる。このように、非常に大きな差があるのです。私は先月のこの日記で、美とか美意識とか、日本の美意識が危ういのではないかとか、さらにはグローバル化とローカル文化の両立には自分たちの美意識、つまり価値観が重要なんだとか書きました。しかし、美も技術もイノベーションも、その社会環境や人々の考え方と絡み合って、そんなに簡単な話ではなさそうです。
さて、今日の日記は少し社会分析的になってきました。この際、年の暮れの大掃除をかねて、もっと突っ込んで、私の腹の底で感じている話しを書いてしまいましょう。実はここ数週間、私はもっと深い悩みにおそわれているのです。
すでに私は二年間、フランスと日本のエンジニア集団の狭間で、両者を調和させるために働いてきました。これはなかなか上手くいく話しではありません。ある時は一方の進捗不足で他方が不快感を示したり、ある時はそれが逆だったり、ある時はお金の問題でもめたり、ありとあらゆるレベルの問題に明け暮れる毎日です。それでも、この例は表面的な現象に過ぎません。問題はもっと深いところにあります。私の感じている深い悩みとは、国籍の異なる二つの集団がお互いに相手を見るときのプライオリティーの大きな相違、そしてそこから来る深い困惑、その結果としての不信感の芽生えについてなのです。
このプライオリティーの違いとはなんでしょうか?それは、大げさに言えば、長い歴史を持つヨーロッパという概念と、同じく長い歴史を持つ日本という概念との相違に根差すものではないかと感じます。ヨーロッパは、紀元5世紀の西ローマ帝国滅亡以来、多くの戦争を繰り返しながらも多くの民族、多くの文化が一つにならずに強く寄り添った多文化主義の大きな共同体です。一方、日本は、紀元6世紀頃より、(装ったにせよ)単一文化を持つ共同体であることは誰もが認めることです。すると、ヨーロッパ人がヨーロッパ人である根っこのところにある考えとして、自分を生かしながら他者と共存する知恵があり、日本人が日本人である根っこのところにある考え方として、自分の位置を自分で探して集団をまとめる知恵がある、と言えるのではないでしょうか。
実は、このことはパートナーシップを組む際に大きな差異を生みます。自分Aが、他者Bとパートナーシップを組むのに、仮にBがその分野では大きな力を持っていたとしても、パートナーシップである以上、AとBとはEqualityがなければならない。両者がこれを認めるからパートナーシップが成立する。これが、ヨーロッパ人が大事にする考えです。しかし、これにはすぐ疑問が出ます。Efficiencyという疑問です。上記のようなパートナーシップでは明らかにEfficiencyが落ちる。力のあるBがどんどん突っ走り、Aはサポートに徹するのが効率的であるに決まっているじゃないか、という疑問です。これが、日本人が大事にする考えです。まったくそのとおりです。ビジネスは勿論、何かの具体的な作業に関しては、世界中の人間の誰もがこのEfficientなやり方を認めるでしょう。しかし、話を両者の存在全体、異なる文化を持ったAとBとの関係のあり方というところまで広げて考えると、Efficiency第一であることは、多文化であることを許さなくなる可能性があるのです。EqualityとEfficiency、この差はとても大きなことに思えます。前者をヨーロッパ人が、後者を(私も含めた)日本人が重視しやすいというのは、なんとなく合点が行きますよね。
そして、もしこのくい違いが起きると、両者の論点は完全にすれ違う。ここが最も悲しい点です。話を日常に戻しましょう。フランスのエンジニアは、ある分野では日本のエンジニアが進んでいると認めていても、対等に付き合っていくことを大切にしたいと願っています。一方、日本のエンジニアは、フランスのエンジニアの進んでいる部分は相手を頼り相手からよく学ぶかもしれませんが、自分が進んでいると思った部分は、自分が突っ走ることが全体にとって最適だと信じています。どちらの態度も私には痛いほどよくわかる一方で、悲しいかな、この両者の眼差しは完全にすれ違っているのです。走っているときの日本人エンジニアは、なぜパートナーに内輪の苦労話しをしないのか、相手は対等に話し合える人間の顔をしたパートナーがほしいと思っているのに・・・。フランス人エンジニアは、何故、相手の理解できる具体的な言葉で全体の効率を上げるための提案ができないのか。相手はコミュニケーションするコストさえ効率に効くと思っているというのに・・・。なぜ、お互いがこのような差に気付き、この差を埋める努力ができないのか、そういう触媒になぜ私がなれないのか、そういう自問自答が続くのです。思わず少々センチメンタルな物言いになってしまいましたが、文化の異なる両者が、本当にこの差に気付き、この差を了解し、パートナーに心底から心を配りあえるようになる日が来るのを願うばかりです。私の働く日仏企業アライアンスの憲章には、「マルチ・カルチャーを保ち、ビジネス効率を最大限にあげること」と書いてあるのですから。
そろそろおしまいにします。先日、会社からの帰り道に、愛車のラグナドゥーの中で地元のラジオを聞きていたら、ユーロが導入からもうすぐ一年たつという話題を流していました。貨幣というのは我々の生活に最も重要なものの一つですが、今ではこの新しいお金もまったく常識になりました。もし、日本人が、このユーロというお金から学ばなければならないことがあるとすれば、それは、ヨーロッパ(正確にはEU参加国)は半世紀という長い時間をかけた末、今、ユーロという共通のお金で統合されているということ。日本では考えられないようなすごいこと(イノベーション)がここではできているということです。うーん、なんだかますますわからなくなってきました。
今日の日記は、思いもよらず深い内容に突っ込んだまま、答えのないもどかしさを感じて終えざるをえません。暗い冬だから、しょうがないですね。そんな私の気持ちもつゆ知らず、ラグナドゥーを走らせながら見るパリの街は、クリスマスの飾りでますます美しく光る川のようです。
少し早いですが、良い年をお迎えください。ではまた。
今関 隆志・周子 (パリ在住) のコラム
『欧州生活日記、2001年春夏編』August in 2001
1.初めての春
昨年の初秋にフランスに来て、長い冬を過ごし、いまヨーロッパで初めての美しい春を迎えています。日本の春もとても美しいと思いますが、ヨーロッパの春もまた、暗かった冬との対比で感じる明るさ、透明さ、花の美しさ、小鳥の澄んだ声など、ほんとうに美しいものです。夜はすでに9時ごろまで明るいので、人々は仕事が終わってからゆっくりと街のカフェやレストランで話に熱中していますし、みんな春を謳歌しているという感じがします。我が家もそんな春を楽しもうと、昨晩はクラシックのコンサートに行ってきました。パリには大きなコンサートホールがいくつもあって、ほとんど毎日のように演奏会がかかっています。我が家はもともと熱烈なクラシック好きというわけではなかったのですが、こちらにきてからよくコンサートに行くようになりました。歴史のあるホールで、演奏の質も高い割に、チケット代が安いのです。2000円台でよい席が買えますし、最も安い席なら1000円以下で買えます。こんなことを書くと、すごく贅沢に見られるかもしれません。しかし、お金もかけずにこのようなことが簡単にできるということを言いたいのです。つまり、多くの人に開かれているすばらしい機会がいっぱいあるということ。はじめてここで生活してみて、これが第一に感じることです。
これは「選択の自由」を考えるためのよい例だと思います。つまり、人々の間に、選択しようというこころの自由がある(これはこころの余裕があるといってもよいでしょう)、そして、その人に応じて選択できる場が、場所、日程、コスト的にたくさん提供されているということです。フランスの社会とては失業者問題など多くの難問を抱えています。しかし、誰かに踊らされるようにして暮すのではなく、自分のしたいように生活できるゆったりした生活テンポがここには確かにあります。だから、音楽会に行こうと思う気持ちに毎日でもなれるし、お金がなくても1000円以下の端っこの席で我慢すればいつでもそれが実現できる。つまり、この点で個人に選択の自由があるのではないかと思うのです。余談ですが、音楽って大事だと思うんですよ。人間には、目でみること・耳で聴くこと・口でしゃべること・鼻で嗅ぐこと・肌で感じることという少なくとも五つの感覚がありますよね。だからこの五感が均等に満たされてクオリティー・オブ・ライフが実現するはずです。その点、現代の生活では、特に良い音を聞くことが不足しているように思えてなりません。モンゴルの草原の景色で聞いたホーミーは最高でしたが、パリでの仕事帰りに聴くクラシック音楽会もまた、それなりに豊かな生活を与えてくれます。
日本はどうでしょうか?昨年までの日本でのサラリーマン生活では、毎晩夜遅くまで働きづめで余暇も少ない。高コストの暮らしの中で、お金を使うのが豊かさの証だと思わざるを得ない。そして使ったお金の割に満たされない、豊かになったとは感じられない。そういうサイクルの中で暮していたように感じます。外国から日本を見ると、日本にはそこにいる人にとって抜けがたい独特の流れ・エーテルのようなものがあり、社会的には自由な国であるはずなのに、個人が自分のテンポで生きられない、よって選択を行うまえに個人がいろいろな意欲をなくしていくメカニズムがあるような気がしてなりません。一昨年、モンゴル植林隊に参加した時、モンゴルの一部の若者たちの目の輝きに驚きました。モンゴルの若者には自分たちの国の将来は自分たちの行動次第だというような気持ちがあるからではないかと感じました。フランスとモンゴルではレベルがぜんぜん違う話ではありますが、フランスでは生活を楽しむという意味で人々に活き活きしたものを感じ、モンゴルでは自分たちの国を作るという意味で若者の目に活き活きしたものを感じたのです。これには、いろいろな反論も可能でしょう。しかしここで言いたいことは、両者の眼差しの背後にある共通点、まず個人としての人間がいて、その自由な意思があることが重要だということなのです。選択しようというこころの余裕がある人間がいる所からすべてが始まります。今の日本の社会はそういう人間の成長を阻んでいないかと思うのです。NGO・NPO活動は、日本のこのような問題を突破する鍵にも思えます。意思を持った個人のネットワークであるこうした集団のメンバーの目は、活き活きしているからです。
2.初めてのバカンス
欧州ではじめての夏休みです。何処へ行こうか迷ったあげく、ノルウェーを10日ほど家族旅行してきました。最北端のアルタという町では6000年前の先史時代に岩に書かれた船に乗る人の岩絵を、オスロでは10世紀のバイキング船を、ベルゲンでは14世紀の海上貿易集団ハンザ同盟の遺跡を見ました。それぞれがいろいろな歴史を語っていたわけですが、中でも全体を通して感じたのは、海洋性の歴史ということでした。それは、常に海が存在していて、人々が海を見ながら暮してきたということ。大きな集権的組織を作らず、海という場を使ったネットワークの中で生きてきたという歴史は、非常に興味深いものでした。さらには、今回の旅で目にした現在のこの国の日常性の中にも、このような海洋性の歴史が確実に反映されていると思ったのです。たった10日間の旅でこの国の現在の真実を理解することは不可能ですが、たとえば、ノルウェーという国家そのものを強く意識させるものとか、異邦人を寄せ付けない独自の言語だとか、そういうものが社会的装置としても人々の態度としても、日常的にまったく見当たりませんでした。つまり一声で言えば、ものすごく開かれている。そういう感じのする国でした。
思えば日本は島国です。しかし、海に囲まれた地形であっても、日本は海洋性国家とは言いがたいように私には思えます。歴史的にも日本は海に向けて開くどころか閉じてさえいたでしょう。最近の日本は、経済の優位性も色あせ、アジアの代表だと思ったのもつかの間であったことが認識される中、国家としての自信の回復とか、そんなことがずいぶん言われているようです。近頃の歴史認識をめぐる出来事から感じられるそのような論調は、自らを開くどころかますます閉じているようにさえ思えます。だから、ノルウェーで見たような海洋性国家のスタイルが日本にとっての何かのヒントになるのではないか、そう感じたわけです。地理的に見て、日本にとって、東アジア、北東アジア、東南アジア、北米、オセアニアそして太平洋島嶼国がもっとも身近な隣人です。まずこれらの国々ともっともっと交流し、制度的な障壁を無くし、人の移動を作ることが重要なのではないでしょうか。相手を活かして自分も生きるという発想が日本にはもっと必要です。そのためには、日本人として隣国を良く知っているかと自問自答すると同時に、隣人の目で日本を眺めてみた時に、日本が本当に開かれているか、中に入ってきて一緒に協力していけるだろうかと自問自答してみることが必要でしょう。日本にはまだまだ課題が多いように思われます。(上で述べた地理的隣人連合については、戦前、大東亜共栄圏というものがありました。上記がこのようなものにつながらないためにも、個人間の交流がベースであることを強調しておきたいと思います。)
もう少しこの議論を続けたいと思います。海洋性国家を手本に、と勝手に申しましたが、日本には日本らしいあり方があると思うのです。正確に言えば、日本らしい良い部分を活かしながら、いかに世界の関係性の中で生きる国にするか、ということです。
では、日本の良い部分とは何でしょうか?日本の最も良い所は、気候的に温暖で明るい国だと私は思います。ノルウェーはムンクの絵のように太陽の光の弱い所でした。人々も、ここフランスの人たちと比べるとあまり陽気には見えない。かつて、北ヨーロッパ、オランダ生まれのゴッホは、浮世絵を通じて日本のつき抜けた明るさにあこがれ、南へ南へと向かい、南仏アルルの地で日本に似た光を見つけました。ゴッホにとっての南フランスは、明るい日本のかわりに過ぎなかったわけです。ゴッホはこうまで日本にあこがれていたのです。美術談義ではありませんのでこの辺でやめておきますが、ここで言いたいことは、基本的に日本はたいへん明るい豊かな土地だということなのです。そしてそこで生まれた日本の文化はかつてゴッホにこんなにあこがれられたほどに明るく、魅力的であった。また戦後の日本の経済発展の歴史においても、本田宗一郎や松下幸之助や井深大などの多くのアントレプレナーたちは、基本的に明るい遊び心の持ち主でした。この点を今の日本が忘れてしまっている、そこが最もいけないことじゃないかと思うのです。だから、最近の日本で言われているような、国家としての自信の回復を叫ぶという発想ではなく、明るい土地日本に暮す日本人の明るさを取り戻すための何かをしないといけないのではないかということです。そのためには、まず個人としての人間の自由な意思をとりもどすことが重要だと思います。その上で自由意思をもった人々が、周囲の人や国を尊重し、相手を生かして自分も生きる<共存>という関係性の中で生きていくことができれば、それが日本的な海洋性国家になるのではないかと思うのです。この日記の春の章で書いたこととの繰り返しになりますが、まず個人としての人間がいて、その自由な意思があってそれが尊重される世界であってほしい。こころに明るい自由のある人間がいる所からすべてが始まるのだと思います。
